カテゴリー「● 絵画」の9件の記事

2018年1月26日 (金)

長谷川等伯、県文化財指定、桃山時代の紙本墨画、松竹図屏風、猿猴図屏風、国宝 松林図屏風、とは(2018.1.26)

 長谷川等伯(はせがわとうはく、1539~1610)は、能登七尾生れ、桃山時代の画家。このたび、松竹図屏風(しょうちくずびょうぶ)、猿猴図屏風(えんこうずびょうぶ)などの紙本墨画(しほんぼくが)が、2018年1月12日、石川県文化財保護審議会で、県文化財として答申され、指定されることになった。

〇 松竹図屏風

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松竹図屏風、紙本墨画、桃山時代、石川県七尾美術館蔵

 大きな松を左手に濃淡の墨で竹を描き分けて奥行きがある。竹の節を濃淡で際立たせる表現があり、墨の色や筆の勢いから50代後半に制作したとみられる。国宝の「松林図屏風」につながる表現で、樹木による空間表現が優れているとされた。 

〇 猿猴図屏風

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猿猴図屏風、紙本墨画、桃山時代、石川県七尾美術館蔵

 中国の禅僧画・牧谿(もっけい)の作品に学びながら好んで描いた画題で、樹木の上に座る母子猿と枯れ木にぶら下がる父猿らしき猿が描かれている。水墨表現の熟練と等伯らしい動物表現で、等伯の全盛期である50~60代の制作過程を知るうえで貴重な作品とされた。

〇 国宝 松林図屏風

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国宝 松林図屏風、紙本墨画、安土桃山時代〈16世紀)、東京国立博物館蔵

 靄に包まれて見え隠れする松林の何気ない風情を、粗速の筆で大胆に描きながら、観る者にとって禅の境地とも、侘びの境地とも受けとれる閑静で奥深い表現となっている。 

 1592年(文禄元年)、等伯が祥雲寺障壁画(現・智積院襖絵)を完成させた翌年、息子の久蔵が26才の若さで亡くなっており、その悲しみを背負った等伯が、人からの依頼ではなく自分自身のために描いたとも言われています。 

(参考資料) 朝日新聞: 県文化財4件指定へ、利休所有「黒楽茶碗」や等伯屏風; 北陸中日新聞: 県文化財に4県答申 長谷川等伯の2作品など(2018.1.13).

(Link)

 〇 石川県七尾美術館(長谷川等伯、所蔵品): http://nanao-art-museum.jp/?cat=13

 〇  長谷川等伯(はせがわとうはく、安土桃山・江戸初期の絵師)、能登の七尾から京の都へ、壮麗な金碧画から水墨画の世界へ、画風の変化をもたらした人生の出来事、とは(2011.10.7): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/2011107-4750.html

 

 

 

2018年1月23日 (火)

熊谷守一、簡素な形態と明るい色彩の画風、没後40年、生きるよろこび 回顧展(東京国立近代美術館)、代表作、とは(2018.1.23)

 洋画家、熊谷守一(くまがいもりかず)、温かみのある、独自の画風は、戦後、70歳代に確立。単純化した形と明るい色彩で、猫や草花、虫、雨滴などの身近な生き物や自然を描いた。その絵は、ものを「純粋に見る」ことを突き詰めた。その回顧展が、東京国立近代美術館(東京、竹橋)、2017年12月1日(金)~2018年3月21日(水、祝)、で開かれている。

〇 猫

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 猫、1965年〈85歳) 油彩、板 愛知県美術館 木村定三コレクション

 熊谷が猫をスケッチしだしたのは1940年(60歳)代、それを油彩にし始めたのは1950年(70歳)代であった。熊谷は人に忠実な犬よりも気ままな猫を好んだ。

〇 稚魚

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         稚魚、油彩、板、1958年〈78歳) 天童市美術館

 5匹の魚がいるようにも、一匹の魚がぐるぐる泳いでいる(異時同図)ようにも見える。暗い色の一匹は水の深い所にいることを表している。青と赤という色の取り合わせにより魚がちらちら動いて見え、それが生命線を生んでいる。1932年(昭和7年)から亡くなるまで住んだ家の庭には、自分が掘った大きな池があり、水や魚に関する作品も多い。

〇 雨滴

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 雨滴、油彩、板、1961年(81歳) 愛知県美術館 木村定三コレクション

 猫についでよく知られる代表作の一つ。水たまりに落ちて跳ねる雨粒を描く。画面全体が中間色の中で、水滴だけがぱっと白く、そのため白い部分がちらちら動いて見える。

〇 ハルシア菊

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ハルシア菊、1954年〈74歳)、油彩、板 愛知県美術館 木村定三コレクション

 庭の植物と昆虫を描く。かたつむりは二重円のハルシア菊の花をまねるように体を丸めている。植物と昆虫を同じ命あるものとして見えてくる。

〇 豆と蟻

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豆と蟻、1958年(78歳)、油彩、板、個人蔵

 ベージュの背景に双葉を伸ばそうとしている豆と、五匹の蟻を描いたもの。芽を出す豆に比べて蟻が大きく描かれている。「蟻は左の二番目の足から歩き出す」と言ったとか、この画では、触覚が極端に小さく描かれている。熊谷は地面に頬杖をついて蟻をよく観察したと言われている。

〇 熊谷守一

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               熊谷守一(1880-1977)、91歳

 熊谷守一(くまがいもりかず、1880~1977)は、岐阜県生れ。東京美術学校、西洋画科撰科卒。フォーヴィスム(野獣派、原色的色彩,奔放な筆触の太い描線が特徴)を経て、簡素な形態と明るい色彩の画風となる。代表作、蠟燭(ろうそく)、陽の死んだ日、晩年は、猫、雨滴のほか、虫や花、果物などの作品。1967年(87歳)文化勲章を辞退。

〇 蝋燭

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          蠟燭(ローソク)、1909年(29歳)  岐阜県美術館

 蝋燭をもつ自画像を描く。 第3回文展に出品し褒状を受ける。

〇 陽の死んだ日

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           陽の死んだ日、1928年〈48歳) 大原美術館

 次男の陽の死顔を描く。「この子が死んで何もこの世に残すものがないと思って描いた」
という。初期二科展に出品し、注目される。

 1922年(大正11年)、大江秀子と結婚。1928年(昭和3年)に次男、 陽(よう)を、1932年(昭和7年)に三女、 茜(あかね)を、1947年(昭和22)年に長女、萬(まん)を失くすなど、戦争をはさんで次々と家族の死に見舞われる。戦後は無所属で、単純化された形と明るい色彩を特徴とする、独自の作風を築く。

(参考文献) 

 朝日新聞:首都圏トピックス、熊谷守一  シンプルへの旅路(2018.1.11)

(Link)

 〇 没後40年 熊谷守一 生きるよろこび 回顧展(東京国立近代美術館): http://kumagai2017.exhn.jp/YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=JbXHMEP1qus

 〇 豊島区立熊谷守一美術館: http://kumagai-morikazu.jp/

 〇 熊谷守一つけち記念館(岐阜県中津川市付知町): http://www.morikazu-museum-tsukechi.jp/

 〇 熊谷守一 絵画作品と所蔵美術館 (くまがい もりかず 1880(M13). 4. 2 - 1977(S52). 8. 1  ) :http://kininaruart.com/artist/jyouga/kumagai_morikazu.html

 〇 モリが見つめた天地、画家 熊谷榧、ききて 山 田 誠 浩(平成22年12月、3月14日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映):  http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-444.htm

2018年1月18日 (木)

伊藤若冲、雪中の名作、動植綵絵(雪中雄鶏図、雪中鴛鴦図、雪中錦鶏図)、代表作、仙人掌群鶏図襖、名作誕生ーつながる日本美術、とは(2018.1.18)

 厳冬の季節、先日の大雪の最中、ふと雪景色の名画が思い浮かび、何気なく調べたところ、日本美術史上の名作と呼ばれる若冲の雪中動植綵絵(雪中雄鶏図、雪中鴛鴦図、雪中錦鶏図)、代表作、仙人掌群鶏図襖などが目に留まりました。

 伊藤若冲(いとうじゃくちゅう、1716〜1800)は、京都生れ、江戸中期の画家。はじめ狩野派、のち中国(宋、元、明)の古画を学び、さらに対象の実写に努め、尾形光琳(1658~1716)の装飾画も取り入れ、動植物画に写生的な装飾画の新風を開きました。

 特に、鶏(ニワトリ)の巧妙な絵で名高い。代表作は、30歳ころから約10年かかって完成した、動植彩絵(どうしょくさいえ)30幅(宮内庁 三の丸尚蔵館蔵、東京)、仙人掌群鶏図襖(さぼてんぐんけいずふすま、西福寺蔵、大阪)。 

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雪中雄鶏図(せっちゅうおんどりず)、署名は景和。若冲30代前半の作品、細見美術館蔵(京都)

 降り積もる雪の中、餌を探して佇む鶏を描く。鶏(ニワトリの雄)の朱のとさかや漆黒の尾羽が鮮やかに映える。一方背景の溶けた雪がまた固まったような、奇妙な雪の連なり、ジグザグに折れ曲がる竹など、後年発揮される彼の作風の萌芽をすでに見出すことができる。

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伊藤若冲(いとうじゃくちゅう、1716〜1800)、江戸中期の画家、名は汝釣(じょきん)、字は景和、号は若冲のほか斗米庵(とべいあん)。若冲の号は、禅の師であった、禅僧、大典顕常(相国寺)から与えられた居士号。

 京都の青物問屋の長男。40歳で家業を弟に譲り(隠居!)、以後画業に専心。以後、独身で、85歳の長寿を全うしたが、中国絵画の影響を強く受け、身近な花鳥などを主題に奇想ともいえる超現実的な多くの名作を残している。 


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雪中鴛鴦図(せっちゅうおしどりず)、左上に宝暦巳卯仲春若冲居士製、1759年(宝暦9年)2月作、宮内庁 三の丸尚蔵館蔵(東京)

 雪の降り積もる冬の川辺に暮らす鳥達を描く。鴛(オシドリの雄)は石の上に片足で立ち、鴦(オシドリの雌)は水中に頭を突っ込み、尾羽を外に出している。雪の降り積もった柳の枝には、3羽の色鮮やかな雉鳩たちがとまっている。大典和尚の書いた詩文、藤景和画記では、寒渚聚奇(かんしょしゅうき)という題名が付いている。

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雪中錦鶏図(せっちゅうきんけいず)、1761年(宝暦11)〜1765年(明和2年)頃作、宮内庁 三の丸尚蔵館蔵(東京)

 雪化粧した榧(かや)の木を背景に、雪に包まれる牡丹と2羽の錦鶏鳥を描く。錦鶏鳥は、中国やチベットの山地に生息するキジの仲間で、鮮やかな色彩が特徴である。雄が全身を見せているのに対して、雌のほうは、雄の陰にかくれて上半身のみを覗かせている。この絵の最大の特徴は、幻想的な世界を演出する、粘り気を感じさせる、濃厚なまでの雪の表現である。

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仙人掌(さぼてん)群鶏図襖(ぐんけいずふすま)、襖絵六面、若冲晩年の傑作。1789年(寛政元年)作、重要文化財、西福寺蔵(大阪)

 天明の大火に遭った後、一時的に滞在した大阪の鰻谷で薬種問屋を営む数寄者、吉野五運の依頼によって同家の菩提寺(西福寺)の襖絵として制作されたと伝えられる

(参考資料)

 〇 「名作誕生-つながる日本美術」展 「だれもが知る」が勢ぞろい(朝日新聞デジタル、2018年1月5日11時41分):http://www.asahi.com/event/SDI201801050702.html; 同上(2018年4月4日、朝日デジタル):http://meisaku2018.jp/

 〇 伊藤若冲絵画作品と所蔵美術館いとう じゃくちゅう  1716. 3. 1 (正徳06. 2. 8) - 1800.10.27 (寛政12. 9.10) : http://kininaruart.com/artist/nihonga/ito_jyakuchu.html

〇 文正「鳴鶴図」 原本

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重要文化財 文正「鳴鶴図」 中国元〜明時代(14世紀) 京都相国寺蔵

〇 陳伯冲 松上双鶴図 原本

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陳伯冲 松上双鶴図(日下高声)」 中国明時代〜16世紀、京都・大雲院蔵

〇 狩野探幽「波濤飛鶴図」 模写

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狩野探幽「波濤(はとう)飛鶴図」 江戸時代 1654年 京都国立博物館蔵

〇 伊藤若冲 「白鶴図」 模写

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伊藤若冲「白鶴図」 江戸時代 18世紀 個人蔵

(解説) 中国絵画の模写として、手本となった中国絵画は、元〜明時代の画家、文正の「鳴鶴図」。右に飛翔する鶴、左に蔓の立ち姿を描いた対幅だ。若冲の模写は左右両方が、探幽の模写は右幅が残る。

 文正の原本や探幽の模写に比べ、若冲の鶴は翅の部分などが線を主体に描かれ、透き通る感じが強い。「原本の自然らしさよりも、形そのもののおもしろさが前面に出ている」という。背景には陳伯仲による別の絵画などからの引用も見られる。これは、模写が創造であり得ることを如実に物語っている、という。

2018年1月10日 (水)

英一蝶、幻の大作「涅槃図」、月次風俗図屏風、ボストン美術館の至宝展(神戸市立博物館)、その他代表作、とは(2018.1.10)

  英一蝶(はなぶさいっちょう、1652~1724)は、江戸中期の絵師。京都から江戸に出て狩野安信(1613~1685)に学び、人物、花鳥にすぐれ、やがて独自の軽妙洒脱な画風を創始。かたわら岩佐又兵衛(1578~1650)や菱川師宣(1618~1694)の都市風俗画や松尾芭蕉(1644~1694)の俳諧に親しむ。  

 1698年(元禄11年)、幕府の忌諱(きい、忌み嫌うこと)にふれて、数え年47歳で伊豆三宅島に流罪。11年後、将軍代替わりの大赦により江戸に戻る。この時、船で蝶を見て、画名を英一蝶に改め、後に「幻の大作」と呼ばれる仏画「涅槃図(ねはんず)」を残した。

 この作品を所蔵する、ボストン美術館至宝展が、2017年10月28日(土曜日)~2018年2月4日(日曜日)、神戸市立博物館(神戸市)で開催されているが、約170年ぶり、初の里帰りとなった。晩年は英派を形成、穏健な画風となる。その他代表作は、「月次風俗図屏風」、「朝暾曳馬図(ちょうとんえいばず)」、重要文化財の「四季日待(ひまち)図巻」、「布晒舞図(ぬのさらしまいず)」など。

〇 涅槃図

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                巨大涅槃図、描かれている紙の部分だけで、縦2.9mほど、横は1.7m近くある大作。

 入滅したばかりの釈迦が横たわり、ゆかりの人たちや動物たちが取り囲む。その数は150を下らない。おのおのが人目をはばからず涙にくれる涅槃図で、一蝶が島流しから江戸に戻って4年後の1713年に描かれた。 

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 宗教的な絵ながら、堅苦しさもない。人物や動物たちのしぐさや表情にはどこか愛らしいところがあり、ついつい見入ってしまうと、細かく丁寧に描き込んでいるのに気づく。

 例えば、釈迦の頭のそばにある荷物をくるんだ風呂敷の文様。釈迦の頭には、きらめきのある群青の絵の具が使われており、見る角度によって色合いが変わってくる。               

                       英一蝶「涅槃図」、1713年(正徳3年)、ボストン美術館蔵

〇 月次風俗図屏風

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                           六曲一双(、六つ折りの屏風が左右で1セット)、ボストン美術館蔵

〇 英一蝶Photo
                                       英一蝶像、高嵩谷二代画、東京国立博物館蔵

 英一蝶は、京都生れ、医者の息子、両親と江戸に来て、狩野派の狩野安信(1613~1685)に学ぶも破門に。俳人の松尾芭蕉と親交があり、遊郭の吉原で「太鼓持ち」(幇間         、ほうかん、とも、男芸者!)として活躍。

〇 朝暾曳馬図(ちょうとんえいばず)

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                  朝霧の中、馬を曳いて行く童子、朝陽が川面に映す、 静嘉堂文庫蔵

〇 四季日待(ひまち)図巻

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                   四季それぞれの日待の様子を描く、出光美術館蔵

 布晒舞図(ぬのさらしまいず)

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                        布晒舞を披露する踊り子、遠山記念館蔵

(参考資料) ボストン美術館の至宝展 絵の楽しみは細部に宿る、英一蝶「幻の大作」、「涅槃図(ねはんず)」初の里帰り展示(朝日新聞、2017.12.13)

(Link)

 〇  特別展 ボストン美術館の至宝展 東西の名品、珠玉のコレクション (神戸市立博物館):http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2017_3boston.html 

〇 YouTube(Kaida): 美の巨人たち 2017年09月09日 170909 吉原で遊び、島に流された絵師 英一蝶『涅槃図』波乱の人生 http://www.dailymotion.com/video/x607h20

〇 英一蝶の仏涅槃図の元絵は、鎌倉時代、1323年(元亨3年)、命尊(みょうそん)筆の仏涅槃図で、類似絵が見られる。 九州国立博物館(命尊、仏涅槃会): http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_pre123.html

 菱川師宣、見返り美人図、(東京国立博物館): http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl_img&size=l&colid=a60&t=

 「見返り美人図」は江戸前期の絵師・菱川師宣の作品である。当時流行の着物に身を包み、歩みの途中で足を止め、ふと振り返る女性の姿を描いたもので、昭和23年に切手にもなった。師宣は、衰退していた生命力のある人物像を木版画で再現し、浮世絵の祖ともいわれている。「見返り美人図」は、前の時代に描かれた「風俗図屏風」や「湯女図」のようなタイプの作品を参考にしたとされる。この流れは「振り返る女性」の系譜とも言える。

 

2017年10月 6日 (金)

葛飾北斎、江戸後期の浮世絵師、大波のほか、晩年の情念の絵、くだんうしろがふち、岸田劉生、道路と土手と堀、とは(2017.10.6)

 ロンドン・大英博物館と大阪・あべのハルカス美術館が国際共同プロジェクトとして企画した展覧会「北斎-富士を超えて-」が、今日、10月6日、あべのハルカス美術館で始まりました。

〇 北斎-富士を超えて-

 20017年10月6日(土)~11月19日(日)

 あべのハルカス美術館(大阪市)

〇 葛飾北斎

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葛飾北斎(1760~1849)、自画像、1839年(天保10年)頃

 江戸後期の浮世絵師であり、肉筆画と呼ばれる手描きの絵の名手としても知られる葛飾北斎(かつしかほくさい、1760~1849)。70年に及ぶ画業から、「還暦」「肉筆画」「娘」の三つのキーワードを手がかりに、晩年の30年間の肉筆画や版画など約200点を紹介する。

〇 富嶽三十六景、神奈川沖浪裏

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富嶽三十六景、神奈川沖浪裏、1830年(天保元年)~1833年(天保4年)、大英博物館蔵

 世界的に知られる北斎の代表作。妻の死や自身の病気、家族の問題に悩んだが、富士山の浮世絵の連作で、数え70歳を過ぎて画家として再起するきっかけをつかんだ。

〇 上町祭屋台天井絵、濤図

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上町祭屋台天井絵「濤図」、1845年(弘化2年)、長野県小布施町上町自治会蔵

 小布施の豪商の招きで、応為(三女)とともに訪れた。一対の波の絵のうちの一つで、信仰心が深かった北斎の宇宙観を表現したともされる。

〇 李白観瀑図

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李白観瀑図、1849年(嘉永2年)、米国・ボストン美術館蔵

 中国・唐の詩人の李白は、内乱を避けて隠棲し、雄大な滝を「銀河が天から落ちてくるようだ」と詠んだ。李白を圧倒するかのような滝が、微妙な色彩の変化で描かれている。

(Link)

〇 朝日新聞、2017年(平成29年)10月4日(水):
http://www.asahi.com/articles/DA3S13164630.html

〇 みどころ、北斎-富士を超えて-;
http://hokusai2017.com/highlight.html

〇 芸術と数学(絵画や庭園の美にひそむ数理、黄金比)、富嶽三十六景の富士山と波、竜安寺の方丈庭園と石、とは(2013.9.13): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-a1ed.html

〇 北斎展 後期展示、2017.11.1~11.19、大阪・あべのハルカス美術館

 出品作品の一部を入れ替える。注目は、葛飾応為(おうい)と名乗った北斎の娘・お栄(えい)の肉筆画である。

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応為と北斎が共同で描いた可能性が指摘される2幅の「菊図」

(解説) 葛飾応為は、光と影の表現に特徴があり、「日本のレンブラント」とも評される。江戸末期から明治初期を生きた応為は、晩年の北斎と暮らし、絵師としても父を支えた。生涯は不詳ながら、小説や映画などに描かれ人気が高まりつつある。(朝日新聞:2017.10.31)

〇 葛飾北斎 「くだんうしがふち」 

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葛飾北斎「くだんうしがふち」 江戸時代 19世紀 東京国立博物館蔵

(解説〉 この絵画の作風は、重要文化財 岸田劉生 「道路と土手と堀(切通之写生)」 の作品に継承されているという。

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重要文化財 岸田劉生「道路と土手と堀(切通之写生)」 1915年(大正4年)


 

2017年9月24日 (日)

雪舟、幻の水墨画、倣夏珪山水図、84年ぶり発見!、とは(2017.9.24)

 日本を代表する水墨画家、雪舟〈せっしゅう、1420~1506?)が、室町時代、約550年前に描いた作品水墨画倣夏珪山水図(ほうかけいさんすいず)が84年ぶりに見つかった。雪舟の活動拠点は現在の山口県で、作品を預かった同県立美術館が、2017年(平成29年)9月19日、東京都内で発表した。

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雪舟〈1420~1506)、自画像、(重要文化財)

〇 山水図

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雪舟、倣夏珪山水図(ほうかけいさんすいず)、(重要文化財)

(解説) 雪舟が、中国・南宋時代(12~13世紀)の宮廷画家・夏珪(かけい)の作風に倣(なら)って描いた「倣古図シリーズ」のうちの一点である。

 雪舟は6点の国宝を残しているが、見つかった作品は、軸装された約30㎝四方のう団扇形(だんせんけい)の中に、水辺に岩や木々、船に乗る人、奥には、なだらかな山脈などが描かれている。

〇 秋冬山水図

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雪舟、秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)、(国宝)、東京国立博物館蔵

 学習院大の島尾新教授は「雪舟代表作で同じく夏珪風に描かれ、国宝に指定されている「秋冬山水図」や「四季山水図(山水長巻)」への流れを知ることができる作品」と話している。 倣古図シリーズの作品6点は、重要文化財に指定されている。山下裕二・明治学院大学教授は、筆致落款(署名)などから真筆と判断したと説明した。

 この作品は、1933年(昭和8年)に九州の電鉄会社が美術品を売り出そうと作ったカタログに掲載され、その後行方不明になった。が、昨年、国内の個人が所蔵していることが分かり、複数の研究者が真筆と判断したという。美術館は発見の状況や所有者の詳細を明らかにしていない。

(参考文献)

〇 朝日新聞: 雪舟 幻の山水図 重文級 個人蔵 83年ぶり確認、1917.9.20(水); 北陸中日新聞: 雪舟の水墨画 84年ぶり発見 識者「代表作につながる作品」、1917.9.20(水)

雪舟等楊〈せっしゅうとうよう、1420~1506?、諱(いみな)は拙宗等楊)、 室町後期の禅僧、水墨画家

 京都の相国寺で絵の修行を積んだ後、30代の半ばに周防(山口)へ移り、守護大名大内氏の下で画僧として活躍する。遣明使随行して1467年(応仁1年)から2年ほど明に滞在。 帰国後には、豊後(大分)や美濃(岐阜)など西日本を旅して回り、長さ約16mに及ぶ四季山水図山水長巻、天橋立図、破墨山水図など)、(国宝、東京国立博物館蔵)を描いた。抽象的な空間感覚が特徴で、中国でも認められた。お堂の柱に縛れ付けられたまま、涙を墨のようして足の指でネズミを描いたという逸話が残る。

(参考資料)

〇 秋冬山水図(e国宝、東京国立博物館蔵):
http://www.emuseum.jp/detail/100146/000/000?mode=simple&d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E7%A7%8B%E5%86%AC&class=&title=&c_e=&region=&era=&century=&cptype=&owner=&pos=1&num=1

〇 四季山水図(e国宝、東京国立博物館蔵):
http://www.emuseum.jp/detail/100310/000/000?mode=simple&d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E9%A6%AC%E9%81%A0&class=&title=&c_e=&region=&era=&century=&cptype=&owner=&pos=9&num=2

〇 四季花鳥図(e国宝、東京国立博物館):http://www.emuseum.jp/detail/101001/000/000?mode=simple&

(Link)

 数字(大数、小数)と図形(黄金比、白銀比)にまつわる歴史実話、東洋、西洋の思考、感性の違い、デジタル(二進法)とアナログ(フーリエ解析)のコンピュター(計算機)、とは(2009.9.5): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/200995-2f40.html

(追加資料)

〇 国宝 雪舟等楊 「天橋立図」

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国宝 雪舟等楊 「天橋立図」 室町時代 15世紀 京都国立博物館蔵

(解説) 雪舟等楊筆、国宝「天橋立図」(紙本墨画淡彩/室町時代)。落款も印章もないため雪舟の真筆かどうか定かでなかったが、大正時代頃には雪舟最高傑作の一つとされ、1934(昭和9)年に国宝に指定された。描いた場所、視点、依頼主は誰か、画中の書き込みなど謎の多い絵といわれる。

〇 重要文化財 雪舟等楊 「四季花鳥図屏風」(右隻)

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重要文化財 雪舟等楊 「四季花鳥図屏風」(右隻)室町時代 15世紀 京都国立博物館蔵

(解説) 弟子の作が大半を占める伝雪舟(1420~1506?)筆の花鳥図屏風絵群の中にあって、唯一、雪舟自筆とみなされている作品である。両隻とも松・梅の巨木によって画面全体が支えられ、その周囲に四季の草花や禽鳥類が配されているが、異様な屈折をみせる樹木と鳥たちのアクの強い描写により、画面には独特の緊張感、重苦しさがもたらされている。おそらく、手本にされた中国・明代ころの花鳥図の影響であろう。 なお本図は、文明15年(1483)石見の益田兼堯の孫、宗兼の襲禄祝いに制作されたものと伝えるが、確証を得ない。 

2017年8月17日 (木)

河鍋暁斎、幕末・明治前期の日本画家、奇抜な動物画、風刺画、浮世絵、とは(2017.8.17)

 河鍋暁斎(かわなべきょうさい、1831~1889)は、幕末・明治前期の日本画家、本名周三郎、別号、狂斎。下総(茨城県)古河生れ。

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河鍋暁斎(かわなべきょうさい、1831~1889)

  3歳でカエルを描いたと言われ、両親と江戸に出て、7歳のとき浮世絵師歌川国芳(1797~1861)に入門、のち狩野派前村洞和(?~1841)、狩野洞白(1771~1841)に学び、狩野派に浮世絵を加味した独創 的な画風を展開した。1858年(安政5年)独立。

 狂斎と号し、闊達な筆致による動物画浮世絵錦絵、狂画と呼ばれる風刺画、戯画などを描き、1870年(明治3年)投獄され、暁斎と改号。1881年(明治14年)第2回内国勧業博覧会で受賞、その写実力と奇想が評判となった。建築家コンドルも入門し暁英と名乗り、著書で紹介、欧米にも知られた。作品「地獄極楽図」「暁斎漫画」など。(永原慶二監修、日本史辞典(岩波)より)

〇 これぞ暁斎! ゴールドマンコレクション

2017年7月29日(土)~8月27日(日)
石川県立美術館
 江戸幕末から明治を生きた日本絵師、河鍋暁斎(かわなべきょうさい1831~1889)。 圧倒的な描写と独特のユーモアを交えた暁斎の創作の全体像を、世界屈指の暁斎コレクション、イスラエル・ゴールドマン氏所蔵の作品で回顧する。
〇 猿、枇杷猿、瀧白猿
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                 猿「枇杷猿」「瀧白猿」 1888年(明治21年) 絹本着彩
 滝を背に際立つ白猿、樹上の猿が、墨の濃淡だけで生き生きとした表情で描かれている。伝統的な技法を用いながらも、表情や動きに漫画のような要素が感じられる。
〇 動物の曲芸
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             動物の曲芸 1871年(明治4年)~1889年(明治22年) 紙本着彩
 動物や妖怪など架空の存在を通し、幕末から明治にかけて動乱の時代を生きる人間や人間社会を描いている。批判精神はありつつも、愛情や親近感、おかしみが感じられる。
〇 地獄太夫と一休
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          地獄太夫と一休、 1871年(明治4年)~1889年(明治22年) 絹本着彩、金泥
 
 伝説の遊女、地獄太夫と骸骨と舞う一休宗純

というこの画題は、直接的には浮世絵などの江戸大衆文化に由来している。太夫の衣服には地獄の風景も描かれていて面白い。歌舞伎の「一休地獄噺」をもとにした絵巻である。
(Link)
 〇 中日新聞、2017年(平成29年)8月17日(木): 

 

 
 

2017年5月24日 (水)

堀の中の名画、山海頌図(さんかいしょうず、山の恩、海の恩)、棟方志功、金沢刑務所、とは(2017.5.24)

 金沢刑務所((金沢市田上町)の講堂には、版画家・棟方志功(1903~75、青森)が手がけた一対の油絵が、「塀の中の名画」として、受刑者の暮らしを静かに見守っています。 

 棟方は、終戦間際の1945(昭和20年)年4月、富山県南砺市(もと福光町)の光徳寺住職らの招きで福光に疎開、約6年8カ月を過ごしました。 

 東京へ戻る直前、知人の金沢刑務所職員が、当時は金沢市小立野にあった刑務所の講堂に飾る作品を依頼しました。

 1952年(昭和27年)6月、棟方は、刑務所内の職員待機所にこもり、わずか1日で、80号2枚の大作「山海頌図(さんかいしょうず)、山の恩、海の恩」を描き上げたという。

〇 山の恩

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                          山海頌図 山の恩 

  山海頌図「山の恩」は、青い山を背にした大樹を中心にタンポポやヒマワリなど春夏の花々が咲き乱れる風景です。

〇 海の恩

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             山海頌図 海の恩

 山海頌図「海の恩」では、灯台がたたずむ海辺の遠景とともに、秋冬の草花の中でフクロウやキジなどが憩う風景です。

 これらの作品は、一見、ユートピアを思わせる穏やかな風景です。が、見る者からは、画面手前に描き込まれた、装飾的な白い鉄柵によって、隔てられています。 

 南砺市立福光美術館、元館長補佐で、版画家の尾山章さん(73)は、「出所後の希望の世界、夢の世界としての彼岸や来世、全部を含んでいるのでしょうね」と話す 

 金沢刑務所で暮らす受刑者たちは、1日30分の運動時間などに講堂に集まります。棟方が「受刑者の心の糧に」と願った名画は、償いの日々の思いでにささやかな彩りを添えるに違いない、とのことです。

(参考文献) 

〇 朝日新聞、1917年(平成29年)5月17日、田中ゑれ奈、探訪 展知 ひと、金沢刑務所、「心の糧」添える彩り、棟方志功が手がけた「堀の中の名画」、「山海頌図 山の恩」、「山海頌図 海の恩」、金沢刑務所(金沢市田上町)

〇 朝日新聞デジタル(棟方志功に関するトピック):http://www.asahi.com/topics/word/%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F.html

(参考資料)
〇 光徳寺(真宗、南砺市、富山): https://www.city.nanto.toyama.jp/cms-sypher/www/info/detail.jsp?id=4296
〇 南砺市立福光美術館(世界のムナカタがわかる美術館、富山):http://nanto-museum.com/message/

2016年10月26日 (水)

紅葉の襖絵、長谷川等伯の楓図 (国宝 1592年頃 智積院 京都)、とは(2016.10.26)

 安土桃山時代の絵師、長谷川等伯(はせがわとうはく、1539~1610)は、能登半島・七尾(石川県)の生まれで、はじめは、30年余り、信春(しんしゅん)と名乗り、能登の地方画家として仏画を中心に肖像画など描きました。 のち京都に出て、独自の画風を創造して、御用絵師として隆盛を誇った狩野派に対抗する画業を築きました。

 紅葉の楓図(国宝)、智積院(京都)の襖絵は、1592年(文禄元年)頃、長谷川等伯が描いたものです。 中心に矍鑠(かくしゃく)たる楓の太い幹が描かれており、 その幹の下に散る楓の葉の美しい造形、 そして根本の鶏頭や白菊、葵の花も美しい!楓の幹も、まさに55歳の油の乗り切って、精神力と知力に溢れる、等伯自身、そのものという。

 〇 長谷川等伯の楓図 (国宝)

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長谷川等伯の楓図 (国宝 1592年頃 智積院)、厳粛な美につつまれており、正座し心を落ち着けて見る感じで、 その凛として律としての厳しい美に 圧倒されます。

〇 智積院 (京都) 

智積院(真言宗) 講堂の襖絵と中庭  、京都市東山区東大通り七条下る、YouTube(love nikon): https://youtu.be/zCBrzy6_sVY、智積院、宝物紹介(国宝障壁画): http://www.chisan.or.jp/sanpai/houmotsu/

(Link)
 〇 長谷川等伯(はせがわとうはく、安土桃山・江戸初期の絵師)、能登の七尾から京の都へ、壮麗な金碧画から水墨画の世界へ、画風の変化をもたらした人生の出来事、とは (2011.10.7):http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/2011107-4750.html

(参考資料)

〇 日本の美、秋の紅葉、傑作紅葉画の競演、1~6 (いづつやの文化記号):
http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2010/11/post-a9d7.html

 

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