● 人物

2017年11月16日 (木)

野々村仁清(京焼色絵の祖)の色絵雉香炉(国宝)、色絵雌雉香炉(重要文化財)、石川県立美術館蔵、とは(2017.11.16)

 江戸時代、野々村仁清(京焼色絵の祖)によって作られた、色絵雉香炉(国宝)、また、色絵雌雉香炉(重要文化財)は、石川県立美術館(金沢)が所蔵、一般の人々が鑑賞できるよう、常設展示されています。

 
 雄の雉香炉(国宝)は、尾を水平に延ばし鋭く前方を見る姿が、色彩豊かに表現されています。一方、雌の雉香炉(重要文化財)は、尾を斜めに上げ、毛繕いしている姿が、地味な色合いで表現されています。
 
 金沢城址の金沢大学に勤務中、1969年(昭和44年)頃、近くの金沢伝統工芸館の展示場で、この香炉を初めて目にし、これが国宝なるものか!と感嘆しながら眺めたことを、今でも懐かしく思い浮かべます。

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色絵飾香炉、野々村仁清作、左 色絵雌雉香炉(重要文化財)、右 色絵雉香炉(国宝)、石川県立美術館蔵

(Link)

 〇 石川県立美術館(ホームページ):http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/

 〇 野々村仁清(京焼色絵の祖)と国宝の色絵雉香炉(石川県立美術館蔵)、とは(2009.12.18): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/20091218-f284.html
 

2017年11月14日 (火)

国宝の筆跡、平安時代の能筆家、三筆(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)と三蹟(小野道風・藤原佐理・藤原行成)、とは(2017.11.14)

 三筆(さんぴつ)は、平安初期の代表的な3人の能筆家空海弘法太師とも)・嵯峨天皇・橘逸勢。漢詩文の盛行など唐文化の強い影響下に、唐風の書法を発展させたと言われる。が、三筆の称が使われるのは江戸時代からである。

 これにならい、寛永の三筆(本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗)、黄檗の三筆(隠元隆琦・木庵性瑨・即非如一)、幕末の三筆(市河米庵・貫名菘翁・巻菱湖)、明治の三筆(日下部鳴鶴・中林梧悟竹・巌谷一六)などの称も生まれた。

〇 三筆

空海(くうかい、774~835、弘法大師とも)

 漢詩文・書にすぐれ、前者は「性霊集」「高野雑筆集」などに収められ、「風信帖」「灌頂歴名」などは至宝とされる。

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弘法大師筆尺牘三通、風信帖(1通目)、空海が最澄の消息に答えた書状、平安時代、810年(弘仁元年)~812年(弘仁3年)、国宝、東寺(京都)蔵。

嵯峨天皇(さがてんのう、786~842)

 詩文・書道をよくし、書では三筆の一人に数えられる。空海の書風の影響が強く、最澄の弟子光定に与えた「光定戒蝶(こうじょうかいちょう」は真筆とされる。

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嵯峨天皇宸翰、光定戒牒、嵯峨天皇が最澄の弟子光定に与えた書状、平安時代、823年(弘仁14年)、国宝、延暦寺(京都)蔵。

橘逸勢(たちばなのはやなり、?~842))

 三筆の一人で、隷書体(れいしょたい)を得意とし、書名は高いが、真跡とされるものはない。

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伊都内親王願文、伊都内親王が香灯読経料として寄進した際の願文、平安時代、833年(天長10年)、御物(ぎょぶつ、日本の皇室の私有品)。

 三蹟(さんせき、三跡とも)は、平安中期の代表的な3人の能筆家小野道風・藤原佐理(すけまさ)・藤原行成和様の書法は、道風が基礎を築き、佐理を経て、行成が完成したとされる。 この3人は平安後期から能書にあげられている。が、三蹟が使われるのは江戸時代からである。

 三蹟

小野道風(おののとうふう、みちかぜ、とも、894?~966)

 書家、醍醐・朱雀・村上の3朝に仕え、能書として重用された。その筆跡は野蹟(やせき)とよばれ、三蹟の一人に数えられる。和様書道の創始者として、日本書道史上最も重要な位置を占める。伝称筆跡が多いが、「智証太師諡号勅書」「屏風土代」「玉泉帖」などが真跡として認められている。

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円珍贈法印大和尚位並智証大師謚号勅書彩箋墨書、朝廷より円珍に智証大師の謚号が贈られた時(円珍没後36年目)に執筆、平安時代、927年(延長5年)、国宝、東京国立博物館蔵。

藤原佐理(944~998、ふじわらのすけまさ)

 三蹟の一人で、王義之や小野道風の書を基に、味わい豊かな書風を確立。その書は生前から珍重され、詩懐紙のほか「離洛帖」などの消息がある。筆跡は佐跡とよばれている。

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書状(国申文帖)  藤原佐理筆 、 伊予権守を兼ねることになった佐理が丹波守藤原為雅宛てに出した仮名書道の詫び状、平安時代、982年(天元5年)、 春敬記念書道文庫(東京)蔵。

藤原行成(ふじわらのゆきなり、こうぜい、とも、972~1027)

 学才と能書で知られ、小野道風の書を基に、明るい温雅な書風を確立させ、和様書道の大成者とされる。三蹟の一人で、「白楽天詩巻」、「白氏詩巻」などがあり、また多くの古筆の筆者に擬される。その家系は行成の建てた寺に因み世尊寺流と称され、書の主流となった。

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白氏詩巻  藤原行成筆、赤紫・薄茶などの料紙に唐の白居易の白氏文集の詩を揮毫したもの、 平安時代、1018年(寛仁2年)、国宝、 東京国立博物館蔵。

(Link)

 〇  空海(弘法大師)と書(風信帖、飛白書、雑体書)、五筆和尚、筆の誤り、筆を選ばず、とは(2009.11.13): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/20091113-1bba.html

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弘法大師像(談義本尊)、鎌倉時代の代表的な画像、宸筆の讃、すなわち弘法大師画像上下の余白に、後宇多法王が自筆で讃を加え、1313年(正和2年)教王護国寺西院の談義本尊として施入されたものである。 

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請来目録の筆跡対照、左より、最澄筆、空海筆(恵果阿闍梨)、次いで、最澄筆、空海筆(青龍寺和尚)

(参考文献) 秋季特別公開図録「弘法大師の書とその周辺」、1987年(昭和62年)9月30日、東寺(教王護国寺)宝物館

2017年11月10日 (金)

加賀の千代女(加賀國松任の俳人)、画賛軸、四季折々の風情の俳画、とは(2017.11,10)

 加賀の千代は、江戸中期の女流俳人で、「朝顔や つるべとられて もらひ水」の句で広く知られる。1708年(元禄16年)、加賀国松任(現石川県白山市)の表具師の娘として生まれた。

 彼女が一生涯で詠んだ、約1700の句には、四季折々の風情が、数多く詠み込まれている。中でも「画賛軸」と呼ばれる、俳画作品は、昔から俳句愛好家たちの間で珍重されてきた。

〇 千代女四季の画賛

春の句 花にさへ 出ほしむあしを わかなかな

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春の句は、若菜の絵が添えられた新年の句。県立歴史博物館所蔵品。

夏の句 清水には 裏も表も なかりけり

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夏の句は、写実的な描写の句。片膝をついて座った構図で、71歳の時の千代女が浮世絵師によって描かれている。前書き「真如平等」、仏の教えを詠んだものという。白山市指定文化財。

秋の句 百生や つるひとすじの 心より

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秋の句は、ヒョウタンが描かれた句。永平寺参拝、禅師、「三界唯心」、一念の心に三千の諸法を具すを詠み込む!千代女が最も好きな作品という。県立歴史博物館所蔵品。

冬の句 髪を結ぶ 手の隙あけて こたつかな

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冬の句は、剃髪した時の心情を詠んだとされる句。片膝をついて座った構図で、71歳の時の千代女自身が絵を描いたという。千代尼画自画像「髪を結ふ」の句竪幅、白山市指定文化財。

絵に千代女の句を添えた画賛軸 、千代尼、73歳、辞世の句は、「月も見て 我はこの世を かしく哉(かな)」でした。

(Link)

 千代女の里俳句館: http://haikukan.city.hakusan.ishikawa.jp/index.html

 加賀の千代女(加賀國松任の俳人)にまつわる歴史逸話、朝顔に(朝かほに、
句屏風、俳画)、鬼瓦、蚊帳のなか、朝鮮通信使、とは(2009.7.3):

http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/200973-e172.html

2016年10月18日 (火)

歌舞伎、勧進帳、歌舞伎18番の1つ、安宅の関(小松、石川県)、とは(2016.10.18)

 歌舞伎、勧進帳、歌舞伎18番の1つ、安宅の関が、一昨日、10月16日(日)、市川海老蔵さんらにより、史跡、安宅の関(小松市安宅町、石川県)で上演され、海沿いの野外席を埋めた千百人ほどの観客を魅了しました。

 全国巡業、古典への誘い(1~26日)の一部として、14日から開かれていた小松特別公演(北陸中日新聞後援)の最後を飾る舞台として催されました。勧進帳が、安宅の関で演じられるのは、作品が完成した江戸時代後期以来初めてで、歌舞伎の歴史に新たな一ページが加わりました。

 勧進帳では、追われる源義経の一行を、家来の弁慶が、勧進帳(白紙の巻物!)を読み上げる機転で、安宅の関を通り抜けようと試みます。その義経への忠義を尽くす弁慶の姿に、関守の富樫が心を打たれ、義経を見逃す場面がよく知られています。 

 市川海老蔵さんは、3年前に亡くなった父、12代目市川団十郎さんが、生前に熱望していた、安宅での勧進帳の公演の思いを胸に、弁慶を圧巻の表現力で演じ、中村獅童さんが富樫を務めました。松林を背景に薄暮から暗闇に浮かび上がる舞台での丁々発止の問答に、客席からは、成田屋!の掛け声や大きな拍手が送られました。公演後、海老蔵さんは自身の公式ブログで、今日の経験は宝です、と感慨深げに語りました。

 小松市は安宅の関のほか、250年近い歴史を持つ、曳山(ひきやま)子供歌舞伎が受け継がれるなど、歌舞伎のまちとして知られ、故12代目市川団十郎さんがたびたび訪れ愛した場所として市川宗家とも深いつながりがあります。(北陸中日新聞、太田博泰より)

〇 勧進帳、安宅の関

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弁慶: 市川海老蔵さん(左)、 富樫: 中村獅童さん(右)、10月16日(日)、石川県小松市安宅町、屋外特設舞台(北陸中日新聞、戸田泰雅撮影)

勧進帳 十二代市川団十郎襲名、弁慶: 市川団十郎、富樫: 中村勘三郎、義経:尾上梅幸、 歌舞伎座、1985年(昭和60年)4月、YouTube(JN6231): https://youtu.be/xT4gfzOCWIc

(解説) 勧進帳は、7代目市川団十郎(1791~1859年)が作り上げ、市川宗家が代々受け継いできた歌舞伎の代表的な演目です。鎌倉幕府を開こうとする兄源頼朝に追われ、落ち延びようと身分を隠し移動する義経と弁慶の一行を、関守の富樫が疑うが、弁慶の機転と忠義心が富樫の心を打ち、正体を知られつつも通行を許可される物語です。弁慶、富樫、義経の役は歌舞伎の歴代の看板役者が演じてきた花形で、特に弁慶と富樫による掛け合いが見どころです。

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石川県 史跡名所 安宅の関、全国史跡名所巡りの旅: http://史跡名所.net/?p=196

(Link)
 〇 富樫氏(とがしし、加賀守護家、野市、のち野々市)、安宅の関跡(勧進帳、小松)、一向一揆(高尾城陥落、百姓の持ちたる国、金沢御堂の設置、のち金沢城へ)、とは(2012.9.15): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/2012915-cde8.html

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