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2017年1月

2017年1月31日 (火)

横綱稀勢の里、雲竜型、奉納土俵入り(1月27日)、第72代横綱稀勢の里、明治神宮(渋谷区、東京都)、とは(2017.1.31)

 古代相撲豊作祈願の信仰由来すると言われ、横綱土俵入りに、その姿を伝えています。注連縄を巻き、神に仕える姿で、シコを踏みました。ドシンドシンと土を踏むので、地力が高まり、農作物の収穫が高くなるという。

 江戸時代、神社仏閣の再興や造営の費用を捻出するため、勧進相撲(かんじんずもう)が京都、大阪、江戸を中心に行われ、現在の大相撲へと発展し、神社での横綱奉納土俵入りの由来ともなっています。

 大相撲第72代横綱に昇進した稀勢の里(30)が2017年1月27日、明治神宮(東京都渋谷区)で、約18000人の大観衆の前で、奉納土俵入りを行いました。そのとき、太刀持ちに小結高安露払いに幕内松鳳山を従え、せり上がりの時、左手(守り)を脇につけ、右手(攻め)を横に伸ばす、雲竜型披露しました。三つぞろいの化粧まわしは、第45代横綱初代若乃花が使用したものを借りました。

 なお、太刀持ちは、横綱と同門または同系統の幕内力士が勤め、露払いより上位の力士が受け持つのが習わしです。

〇 横綱稀勢の里 雲竜型、奉納土俵入り

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第72代横綱稀勢の里、奉納土俵入り、雲竜型を披露、太刀持ち高安、明治神宮、(茨城新聞、2017.1.27)

 

横綱稀勢の里、奉納土俵入り、 明治神宮 、YouTube (ibarakishimbun1):
https://youtu.be/mLD6RECTiH4、2017/01/27 公開

(解説)

 太刀持ちは、横綱力士が土俵入りする時、太刀を持って後に従う力士のことです。これは、江戸時代、幕内力士は大名に召し抱えられ、帯刀を許される士分格であったため、殿様から拝領の太刀を持たせて土俵入りをした習慣が今に伝えられています。 

 露払いは、横綱の土俵入りの時、先導として土俵に上がる力士のことです。これは、古来、宮中の蹴鞠(けまり)の会で、まずは鞠を蹴って周囲の木の露を払うこと、また、その役目の人のことを言った。が、のち貴人の先に立って導く人の意味となり、さらに相撲の先導役をいうようになりました。

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第10代横綱、雲龍久吉(1823~1890, 筑後、福岡、Google画像)

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横綱土俵入り、第11代横綱、不知火光右衛門(1825~1879, 肥後、熊本)(中央左)の構えは現在の雲龍型である!? (中央右)は第13代横綱、鬼面山谷五郎(1826~1871、美濃、岐阜)の構えは不知火型!?(ウィキペディア、Google画像)

(解説)

 横綱土俵入りには、雲竜型不知火型の2つがあり、第10代横綱、雲龍久吉(1823~1890, 筑後、福岡)と第8代横綱、不知火諾右衛門(1801~1845, 肥後、熊本)が創案したと言われています。が、現在の不知火型の名は、この不知火ではなく、弟子である第11代横綱、不知火光右衛門(1825~1879, 肥後、熊本)から取っています。

 なお、不知火型は、せり上がりの時、両腕を左右に大きく開くのが特徴で、これは攻めを表しています。なおどういうわけか、通説によると、雲竜型と不知火型の名前が途中で入れ替わった、とされています。

 雲竜型では、、綱の後方の結ぶ目は、大きな輪を作り、その中央に両端をそろえ背筋に立てています。一方、不知火型では、綱の後方の結び目は、左右に二つの輪を作り、中央の輪を立てています。

 いずれの型でも、横綱は手をたたき合わせ、両腕を型に従って動かし、それぞれの脚を上げ、地面におろす動作を繰り返します。横綱が足を踏みおろすとき、観客は、よいっしょ! と叫びます。よいしょよいさとも)は、力を入れる時、重いものを引く時、物を受け渡しする時などの掛け声です。

(Link)

 〇  相撲にまつわる歴史伝承、相撲の起源(豊作祈願の信仰、しめ綱を巻いてシコを踏む、塩を撒く)、力士のシコ(四股、醜)名、相撲取(節会相撲、勧進大相撲、上覧相撲)、とは(2010.9.9): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/201099-31d4.html 

 〇 大相撲初場所(1月12日)、相撲の起源(豊作祈願の信仰、しめ綱を巻いてシコを踏む、塩を撒く)、江戸時代、第6代横綱の阿武松(おうのまつ、能登、石川県)は、長州藩(山口県)毛利家のお抱え力士、シコ名は萩(山口県)の名勝「阿武の松原」に由来、とは(2015.1.12): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-7feb.html 

 〇 大相撲初場所(1月10日)、両国国技館、相撲の始まり、横綱土俵入り、シコを踏む、塩を撒く、弓取り式、石川の大相撲力士、とは(2016.1.13): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-42c6.html

(追加説明)

 〇 相撲の歴史(日本相撲協会、ホームページ): http://www.sumo.or.jp/IrohaKnowledge/sumo_history

 〇 明治神宮奉納土俵入り

 新横綱が明治神宮(東京)で日本相撲協会理事長から推挙状を授与され、最初の土俵入りを奉納する儀式です。1951年(昭和26年)に昇進した第41代横綱千代の山のときから推挙式と土俵入りがともに明治神宮(渋谷区、東京都)で行われるようになりました。

 それ以前は、江戸時代、勧進相撲が取り行われ、京都二条家に奉公し、節会相撲の行事官として務め、その後、二条家の許しを受け、細川綱利に招聘され熊本藩に仕え、武家奉公をしていた、吉田司家(よしだつかさけ、熊本)が、後鳥羽天皇より相撲に関する全権を委ねられ、横綱免許を授与していたという。

2017年1月23日 (月)

雪は天から送られた手紙、世界初の人工雪、中谷宇吉郎(加賀市、石川県)、とは(2017.1.23)

 北海道は、乾いて軽いサラサラの粉雪ですが、北陸は、湿って重たいベタ雪です。この雪質の違いは、気象条件、特に気流(シベリア寒気団)による気温、海流(リマン寒流、対馬暖流)による水蒸気の湿度に起因しています。

 今年の1月20日(土)は、24節気のうち、最後の節、大寒! この日の金沢は、朝は曇で、3~6℃、昼近く降りしきる雪を見た時、ふと、雪は天から送られた手紙である、との言葉が思い浮かびました。 

 これは、中谷宇吉郎(なかやうきちろう片山津温泉、加賀市、石川、もと作見村片山津)が、色紙や書簡に好んで書いた文句です。

 まさに、雪は天から送られた手紙であり、その暗号を読み解く鍵が、中谷ダイヤグラムです。 これは、雪の結晶が、大気中の温度と水蒸気の量(氷に対する過飽和度)の違いに起因していることを解明したのものです。 

〇 雪は天から送られた手紙

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雪は天から送られた手紙である(詩画、中谷宇吉郎)

〇 雪の結晶と中谷ダイヤグラム

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雪の結晶のパネル

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中谷ダイヤグラム 、雪の結晶と気温℃、水蒸気の量%(過飽和度)との関係

雪は天から送られた手紙、中谷宇吉郎 雪の科学館(石川県加賀市、ホームページ): http://kagashi-ss.co.jp/yuki-mus/profile/

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中谷宇吉郎(1900~1962、中谷宇吉郎記念財団)

〇 世界初の人工雪の結晶

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世界初の人工雪の六花の結晶、ウサギの毛につるされている人工雪、1936年(昭和11)3月、北海道大学の実験室

世界初 雪の結晶を作る、 HOKUDAI Only One!No.22~北海道大学~、
YouTube(onlyone hokudai): 
https://youtu.be/z861Yxzvmeo

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人工雪誕生の地

 (解説) 1936年(昭和11年)3月12日、零下50℃まで下げられる、北海道大学の常時低温実験室で、世界で初めて人工雪の結晶を作ることに成功しました。

 中谷教授が人工雪の製作に世界で初めて成功した跡地には、1979年(昭和54年)7月4日、白いみかげ石に六角板結晶をかたどった記念碑が建てられました。

 私もそこを何度か訪れたことがあり、また、1999年(平成11年)2月、北海道大学大学院地球環境科学研究科の招聘講師として訪れたとき、北海道と北陸の雪質の大きな違いも実感しました!!

(Link)

 〇 雪は天から送られた手紙である、という言葉の生みの親、中谷宇吉郎(雪氷科学者、随筆家)、とは(2010.6.14) :http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/2010614-412c.html 

  〇 とやま雪の文化(雪の結晶、富山県、ホームページ):
http://www.pref.toyama.jp/sections/1711/yuki/course/course_crystal.html 

  〇 世界初・雪の結晶をつくった男(SORA気象アーカイブス Vol.12、2016):
http://weathernews.jp/soramagazine/201603/05/

 

 

2017年1月18日 (水)

どんど焼き、小正月(1月15日)、白山比咩神社、雪中の水汲み、杉森地蔵水、白山市、石川県 (2017.1.18)

 日本列島は、2017年1月15日、全国的に激しい冷え込みとなり、各地で今季最低気温となりました。気象庁によると、北日本から東日本の上空約5000mに氷点下39℃以下の寒気が流れ込み、強い冬型の気圧配置となっていました。

 石川県内は15日、断続的に雪が降り、各地で氷点下を下回りました。金沢地方気象台によると、積雪量は金沢市で7㎝、白山市で26㎝、珠洲市で24㎝でした。また、最低気温は金沢市で氷点下1.5℃となりました。

 小正月15日、白山市の白山比咩神社では、古い札やお守り、しめ縄、正月飾り、書初めなどを焼く、どんど焼き(年神を送る行事)があり、一年の無病息災をお祈りしました。なお、それに先立ち、拝殿で左義長祭が営まれました。

〇 どんど焼き

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白煙と炎を噴き上げて燃えるどんど、時折、青竹がはぜる破裂音が響く! 白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)、白山市三宮町、 2017.1.15

しらやまさんの左義長どんど焼 、直径8メートルにうず高く積み上げられた正月飾りや書き初めが、激しく燃え上がりました! 石川県白山市、YouTube(Tom.S): https://youtu.be/_KiThC9mYRg、2017.1.15 

(解説) 北参道の駐車場に、青竹を八本組み合わせたやぐらを組み、その下に焼く物を積み上げ、こもで巻いてあります。直径8m、最大の高さが10mの巨大などんどが出来上がっています。神職が火鑚(き)りろくろでおこした忌火(いみび)をたいまつに移しました。地元鶴来、北辰両中学校の生徒7人が、たいまつをどんどに押し当て点火しました。(北陸中日新聞、2017.1.16)

 〇 杉森地蔵水

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杉森地蔵水、 石川県白山市杉森町  2017.1.15  

(解説) 若水(わかみず)は、元日の朝に初めて汲む水のことですが、一年の邪気を除くという。それにあやかり、金沢はこの日の朝、雪が降り、気温1~3℃、、積雪5㎝でしたが、息子の運転で、白山市の杉森地蔵水の湧き水を汲みに出かけました。そこの積もった雪は道路脇に除雪され、うず高い白壁となっていました。

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(Link)

 〇 白山さん(白山比咩神社)で左義長祭、小正月(1月15日、年神を送る行事)の火祭り、どんど焼き、とは(2016,1,19): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/115-7f38.html

 

 〇 白山の雪化粧と杉森地蔵水(12月4日)、白山市、石川県、とは(2016.12.10):
http://kanazawa-kuratuki.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-8c4b.html

(追加説明)

  若水(わかみず)

 元日の朝に初めて汲む水のことで、一年の邪気を除くという。この水で年神の供え物や家族の食べ物をたき、口をすすぎ、お茶などをたてる。これをくみにいくのが若水迎えで、東日本では年男の役目だが、西日本では女がするところも少なくない。

 古くは、宮中で立春の日に、主水司(もいとりのつかさ)から天皇に水を奉う行事がありました。邪気を除くといわれ、古代の変若水(おちみず、若返り水)の信仰から出たものという。

〇 地蔵

 子供の死後、賽(さい)の河原で苦難を救うという俗説によって、子供の守護仏として信仰されています。

〇 二十日正月(骨正月、乞食正月)

 正月の終わりの節目で、正月の祝い納として業を休みました。京阪では、正月に用いたブリの骨を20日の間、酒粕(さけかす)の中に入れ、ごぼう、だいこんと共に煮て食べることから「骨正月」ともいう。また、石川県下では「乞食正月」「奴(やっこ)正月」といい、東日本の一部でも棚探し(群馬)、フセ正月(岐阜)、二十日ワッパカ(岩手)などといって、正月のごちそうや餅を食べつくす日としているのと同じ風習です。(樋口清之監修、生活歳時記、三宝出版、より)

2017年1月 9日 (月)

伝統の加賀鳶(1月8日)、藩政期から受け継ぐ加賀百万石の火消しの心意気、金沢市出初め式、とは(2017.1.9)

 新春を彩る金沢市の消防出初め式が2017年1月8日、金沢城公園新丸広場で開かれました。市内49消防分団の団員約1100人が、伝統の加賀鳶(かがとび)、高さ6mの梯子(はしご)登りの演技、49台のポンプ車から下帯姿の一斉放水を勇ましく披露し、集まった約4500人の観客を沸かせました。

 加賀鳶とは、江戸時代、加賀前田藩が江戸本郷の藩邸に抱えていた火消し人夫でした。この時の消防法基本は、破壊消防法であり、鳶口(とびぐち)は火を消す道具ではなく、周りの家を壊して防火帯をつくるための道具でした。

 1869年(明治2年)、加賀藩最後の藩主(旧14代藩主)、金沢藩知事前田慶寧(よしやす)は、加賀鳶38人を江戸から招いて、手押しポンプ、鳶口梯子を使った消防を組織し、金沢の義勇消防団が出来上がりました。

〇 加賀鳶梯子登り

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加賀鳶梯子登りの妙技を披露する消防団員、 足首をはしごに固定して、地面と水平に体を伸ばす、鶯の谷渡り、金沢城公園新丸広場 、金沢市、石川県(北国新聞画像)2017年(平成29年)1月8日(日)

(解説) 加賀鳶には、梯子(はしご)登りの妙技があり、一本火の見、をはじめ、夢枕、肝返り、鯱鉾(しゃちほこ)、逆さ大魂つぶし八艘(はっそう)飛び、背亀、鶯(うぐいす)の谷渡りなど、47種の技が伝えられています。はしご登りは、高さ6mの直立した梯子の上で一人の演者が威勢の良いかけ声と共に身軽な仕草と熟練した技を披露するは見応えがあります。

(Link)
 〇 消防出初め式、加賀鳶(1月10日)、江戸時代、加賀藩邸お抱えの火消し人夫、梯子登り、基本は破壊消防法、とは(2016.1.11): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/2016111-c2dd.html

 〇 金沢城の大火事にまつわる歴史実話、火元(落雷、フェーン現象、火の不始末)、火消し(加賀鳶、破壊消防法)、とは(2010.3.24): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/66.html

(追加説明)

〇 広小路の地名

広小路(ひろこうじ)は、もと1657年(明暦3年)の明暦の大火をもとに、江戸幕府が火除地の一種として上野や両国などに設置した幅の広い街路のことです。その3年後(1660年(万治3年)に大火にあった名古屋にも設置され、火災の類焼を食い止めました。また、広小路に沿って火除土手(ひよけどて)が設けられました。

のち、日本各地に広まり、現在も広小路地名道路が、東京(上野広小路)、京都(広小路通)、名古屋(広小路通)、金沢(広小路)、秋田(広小路)のほか、全国各地の市街地にも残っています。

2017年1月 4日 (水)

初詣(1月3日) 白山比咩神社、感謝、一年の無事と平安を祈願!(2017.1.4)

 初詣は、1月3日、マイカーを息子に運転してもらい、白山比咩(しらやまひめ)神社の本殿を参拝し、初穂料を納め、感謝、一年の無事と平安を祈りました。その後、交通安全御守、家内安全・事業繁栄のお神符をいただきました。

 また、古いお神符札は古神社札収納所に納め、お守りは神社境内の浄火で焼きました。そのとき、火に当たりながら、体に煙を被ると、無病息災になるとのことで、参拝者の方々と祈願しながら、焚き上げました。

〇 白山比咩神社

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白山比咩(しらやまひめ)神社(本殿、鼓胴型の注連縄(しめなわ)、屋根は入母屋造(いりもやづくり)、三宮町、白山市、石川県) 

(Link)

〇 初詣  白山比咩神社、全国約2000社の白山神社の総本宮、一年の無事と平安を祈願!(2016.1.4): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/201613-92f5.html

○ 白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ、三宮町、白山市、石川県): http://www.shirayama.or.jp/

2017年1月 2日 (月)

お正月のお祝い(2017.1.1)、迎春おせち料理、おしながき(一の重から三の重)、とは(2017.1.2)

迎春おせち料理

  陰暦では新年と春がほとんどいっしょだったので、春といえば新年のことであった。おせち料理というのは、御節句(おせちく)料理のつまったものである。五節句(人日、上巳、端午、七夕、重陽)を季の変わり目として神前に供えた料理のことをいったが、次第に正月の料理だけおせち料理というようになった。

 おせち料理組み重と言って、四つ重ねの重箱に詰めておき、食べる時に取り分けるのが習慣である。一の重には口取り(きんとん、かまぼこ、ゴマメ、黒豆、数の子、卵焼きなど)、二の重には焼き物(ブリ、イカ、エビなど)、三の重には酢の物(紅白のなます、酢レンコン、しめこざし、ショウガなど)、四の重には煮物(サトイモ、レンコン、クワイ、ゴボウ、
シイタケなど)を詰めるのがならわしである。

 ところで、各家庭では元日の朝、正月のお祝いを行う。この正月のお祝いは、暦が改まると新年の年神が各家庭を訪れて、その年の幸福を授けてくれるという信仰から、古来とり行われてきたお祭りである。日本は元来、農耕社会であり、年神の授けてくれる幸福とは五穀、とりわけお米の豊穣のことだった。
 
 わが家でも、それにあやかり、家族でお酒お雑煮お節料理をいただき、新年のお祝いをしました。なお、年神へのお供え物は、大根、さといも、人参、餅などですが、これを混ぜて食べるようになったのが雑煮である。お互いに交わす、明けましておめでとう、という言葉には、無事お正月を迎えられた歓びがこもっている。

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お酒

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お雑煮

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迎春おせち料理 おしながき(一の重から三の重、全41品)、割烹料亭 千賀(名古屋)

(解説) おせち料理は、昨年と同じく、割烹料亭 千賀(名古屋)の一の重から三の重を、また、関西風お雑煮を、お屠蘇は本来、薬用酒ですが、ここでは普通の日本酒をいただきました。

(参考文献) 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.2~3、新年、おせち料理、正月のお祝い、三宝出版(1994).

(Link)
 〇 お正月(2016.1.1) 迎春おせち料理(おしながき、全41品) :
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/41-f166.html

 

 

2017年1月 1日 (日)

the New Year's greetings, 年賀 (2017.1.1)

A Happy New Year  !

2017

新年おめでとうございます

2017年 元旦

謹んで新春のお慶びを申し上げます

ご家族皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます


平成29年 元旦

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